2005年06月26日

カミングアウト

■カミングアウト
(7月2日,追記しました)

うつ病歴があることを,大学の友人にカミングアウトしました。
いきなり全員は怖いので,まずは信頼している親友に「ひみつ」を打ち明けて,
様子を見ることにしました。。  続きを読む

2005年03月05日

【うつ状態観察日記4】 太宰治状態

日立を過ぎた。
ホームからのキョリに比例して、
ぼくの心は少しずつ落ち着きを取り戻して行く。


ぼくの場合、うつ状態になると、自意識が非常に肥大する。

〈自分〉を否定する。
〈自分を否定する自分〉が憐れで可愛い。
〈自分を否定する自分が憐れで可愛い、と思う自分〉を否定する。
……


永遠に、自意識のループから抜け出せなくなってしまうのだ。
ぼくはこれを「太宰治状態」と呼んでいる。
(ん?だざいおさむのおさむは、この字でよかったけか?)

人間、失格。

最近はこのループにはまることもずいぶんなくなって、
自分でも喜んでいたのになぁ…
ひさびさにドツボである。


以前、『人間失格』の読書感想文で、
「太宰は人間失格なんかじゃない。人間〈合格〉だ」と書いている
アホな女の子がいた。
これほどアホな感想文もそうはない。
太宰もアホだが、この感想文は、それ以上にアホだ。

人間に合格も失格もあるものか。
そんなものがあってたまるか。  

【うつ状態観察日記2】賽の河原

【うつ状態観察日記2】賽の河原

「強くなれ,強くなれ。自分に同情するな」と
いくら言い聞かせても,
言うそばから,心がポキポキと折れていってしまう。

いくら折れた心を元通りまっすぐ立てようとあがいても,
ポキポキポキポキと,折れていってしまう。
まるで賽の河原で小石を積んでいる子どものような気分だ。
「心が折れる」とは,よく言ったものだ。


もう一度きちんと自分の力で自立できるようになるには,
もう少し,時間がかかるようです。

なんだこりゃ,
「うつ状態観察日記」じゃなくて,ただのショウシン日記だな。

書けば書くほど,墓穴の深さを大きくしているだけのような気がします。


ホント,自分のことしか考えられないんですねー。  

【うつ状態観察記録1】情緒不安定につき

【うつ状態察記録1】情緒不安定につき

朝目覚めて、
自分が生きていることにうんざりする。

眠りの世界は、自分が唯一、
考えることをやめて、心から安らげる世界だ。

「このまま朝起きたら冷たくなって、動かなくなっていたらとてもラクなのに。」
そう思いながら、眠りにつく。

朝、ぼくは静かに冷たくなる。
そして誰にも気付かれないまま、静かにそのまま部屋で眠り続け、
静かに、腐敗していく。
蛆やバクテリアや、そういう新しい生命を、育みながら。

ある日、となりの部屋の住人が異臭に気付き、
ぼくは発見される。

誰にも悲しまれる事なく、
ワイドショーと近所のヒマなオバサンたちに
いっときの話のネタを提供して、
ぼくはこの世から消える。
物質的にも、人の記憶からも。


しかし現実はそうはいかないのだ。
体は勝手に冷たくなってはくれないし、
ぼくには腹をかっさばくような刀もなければ、
オーバードーズするような薬もない。
ビルの屋上から飛び下りる勇気もなければ、
首を吊るような梁も、丈夫なロープもない。

唯一あるのは、ガス管くらいだろうか。
これくわえたら、ラクになれそうだ。


でもさっきの話でいちばん間違っているのは、
たぶんぼくには幸せなことに、
死んだら悲しんでくれる人が、たくさん…とまではいかなくても、
少しはいてくれるであろう、という事実だ。

その事実(正確には事実ではなくて、仮説)だけが、
ぼくをこの世に辛うじてつなぎ止める。


いくら悔やんでも、してしまったことは取り消せないし、
人生は常に、今日、ここから始まるのだ。


さぁ、起きて、メシを食おう。
無理にでも詰め込もう。

常に、そこから始まるのだ。
  続きを読む

2005年01月20日

それでも前向きな生き方を

■それでも前向きな生き方を
(1/24 追記しました)

先日書いた「うつ病通院日記 〜 躁転の兆し?」という記事に
誠天調書というところから,「釈迦に説法」というトラックバックをもらった。

一瞬,中傷記事かと思った。
どうしてこんな悪意がまき散らせるのか,と,正直,困惑した。
そしてトラックバックを削除すべきかどうか,迷った。

しかし,匿名によるコメントではなく,
自分のサイトで取りあげてトラックバックを送ってきている,という点で,
単なる中傷とは違うかもしれない,という気もした。

それで,信頼する知人に,相談してみた。
知人は,非常に前向きな提案をしてくれた(Kさん,ありがとうございました)。

そこで,今回いただいたトラックバックに対して,
2つの返信をしたいと思う。


●1.間違いなく,ぼくは恵まれている  続きを読む

2005年01月16日

うつ病とのつきあい(6)あの時の親の気持ち

■うつ病とのつきあい(6)あの時の親の気持ち

先日,ある知人から

「ガンジー君はもう少し親のすねのかじり方を勉強した方がよいのかもなあとも思います。
もう少し親に心配をかけて親孝行をしてあげないとね。
きっとしっかりしすぎているんでしょうね。」

と言われました。

でも,これはたぶん,ちょっと違います。
親にはもう既に,これ以上ないほどの心配をかけてきました。

(まぁ,上の言葉を言ってくださった人はぼくのうつ病の経緯をご存知ないので,
無理もないのですが)

いまやっと,ぼくの調子も安定して,
両親も,ようやくホッとしているところだと思います。


うつ病が再発した時,電話口で,
「もう死にたい。この世から消えてしまいたい」とパニックになって泣き叫ぶ息子を,
あの時,母親は,どういう気持ちで見つめていたのか…

自分がおなかを痛めて産んだ子から,
「もう死にたい」と言われた時,いったいどんな気持ちだったのか…


それを思うと,ほんとに心の底から,申し訳なく思います。
そして同時に,感謝の念に堪えません。

親の支えなくしては,ぼくはいま,ここに生きてはいなかったでしょう。
だから両親には,「二度,命をもらった」のだと思っています。  続きを読む

2004年12月17日

チョコとの思い出:アニマルセラピー(?)

■チョコとの思い出:アニマルセラピー(?)

トップページ サイドバーの自己紹介欄,
ふと気が向いたので,写真を変えてみました。
名犬チョコ
著者近影です。
そう,実はぼくは犬だったのだワン。







…なんてことはありませんで(^^;),
写真は母方のおじいちゃんのうちで飼われていた,チョコくんです。
(ちなみにその後ろで腕組みしてるのは,ぼくの兄)

いまは,おじいちゃんおばあちゃんが衰えて面倒を見れなくなったので,
伯父のところに引き取られて,そこで暮らしています。
元気かなぁ…。

昔は,犬は苦手でした。
小学校の夏休みの時に,公園でラジオ体操をしていたらノラ犬に追いかけられた,
という嫌な思い出があって,ずっと嫌いでした。

でも大学に入ってうつ病になって休学して,名古屋の実家に逃げ帰っていた頃,
毎週,母が祖母の介護をしにいくのについていって,
チョコを散歩に連れていくのが,その頃の1週間のたのしみでした。

チョコには,ずいぶん遊んでもらいました。

まだ調子が悪くて,ろくに人と話す気力もなかった頃でも,
無邪気にじゃれついてくる彼の相手をしていると,
不思議と元気が湧いてくるのでした。

動物というのは,ほんとに無垢な魂の持ち主だなぁ,という感じがします。
その純粋さ,無邪気さが,
疲れきってボロボロだったぼくの心を,なんとも暖かく,優しく包んでくれたのでした。

いま思うと,毎週チョコと接していたことは,
確実にうつ病からの回復に役立っていた気がします。
意識していたわけではないけれど,
自然と「アニマルセラピー」になっていた感じ。

うつ病になった時,たくさんの人にお世話になりましたが,
彼も,確実にその中の1人(1匹)だなぁ,と思います。

チョコ,ありがとう。

また,お正月に会いにいくよ。もうすぐだね。  

2004年12月02日

ぼくがうつ病体験を公開する理由

■ぼくがうつ病体験を公開する理由

「東大女セキララ人生」のユフィさんの記事,「うつのジレンマ」にトラックバック。

経験者、というか精神病院まで入ってしまったエキスパートとしては
いろんな方、うつ病の苦しさを知ってほしいし、病気の人の
相談にも乗りたい。
しかし、自分の経験をおしつけることはしたくない。
ジレンマです。
(中略)
ほんとうに限られてるけど、出来ることはしたい。
すごく難しいけど、しみじみとそう思う。


同じうつ病を患った者として,ユフィさんのお気持ちは,よくわかります(わかるつもり)。

ぼくも,うつ病の人がいたら,できるだけ力になりたいと思うし,
あんな苦しい思いをする人は,1人でも少ない方がいい,と強く思います。

ぼくが,うつ病体験や,通院の記録を書いたり,うつ病関連の本・サイトの紹介をするのは,
そういう問題意識に基づいています。


もちろん,半分は〈自分のため〉,というのもあります。
書くことで自分の体験を見つめ直し,自分の心を整理しているのです。

しかしもう半分は,やはり〈他の人のため〉だと思います。

決して,自分の不幸を“見せびらかし”たり,押し付けたりするために書いているわけではありません。

〈押し付けや見せびらかしになているかどうか〉は,
基本的には受け手の判断することですので,なんとも言えませんが,
少なくとも自分では,そう考えています。


「自分と同じことで苦しんでいる人がいる」という事実だけでも,ほんとうに辛い時,
心の支えになってくれることがありますし,
うつ病についての知識 ─ きちんと受診し,適切な治療・投薬を受けることで間違いなくよくなるということ ─ を伝えて行くのは,
価値があることだと思うからです。

だから,ぼくはこれからも,
「自分の体験したことを,見せびらかすわけではなく,かといって,いたずらに卑下するわけでもなく,
ただ淡々と伝えていけばいいのではないか」と考えています。

というわけですが,ユフィさん,いかがでしょうか?  

2004年05月23日

うつ病とのつきあい(5)「うつ病になって得たもの」とは

■うつ病とのつきあい(5)「うつ病になって得たもの」とは

先日,カイパパさんから,
ガンジー君へ」という記事の形で,お手紙をもらいました。

足踏みしているように思えても、いつしか風景が変わって来ます。これは体験的にそうだと断言できます。
 同じ景色を見ているようでも、らせん階段を上るみたいに、成長している。

 無理せず、無駄なことをいっぱいして、「起こってしまった事全てが、幸いだった」といつか思えるといいね、お互いにね☆

 2004年4月10日 カイパパ


手紙をもらって,とてもうれしかったです。
だから今日は,そのお手紙に応える形で,
最近の心境 ─病気もずいぶんよくなって,また少し,見えてくる風景も変わりました─ を,書いてみたいと思います。
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2004年04月17日

「ホームドラマ!」と「光とともに」

■「ホームドラマ!」と「光とともに」

ふたつのドラマを見始めました。

・水曜夜10時,日本テレビ系「光とともに」
・金曜夜9時,TBS系「ホームドラマ!」

ふたつに共通するのは,
「どうしたらいいかわからないような悲しいことを抱えた時,人はどうやって生きていったらいいか」
というテーマだと思います。(やや曲解かもしれませんが)
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