2004年03月16日

うつ病とのつきあい(2)「ぼくがうつ病になった理由」

■「うつ病とのつきあい」その2〜「ぼくがうつ病になった理由(わけ)」

エッセイ「ぼくがうつ病になった理由(わけ)」は,2003年1月に,自分の気持ちを整理するために書いた文章です。
今見ると書き直したい部分もいくつかありますが,あえて手を加えずに掲載したいと思います。

もし興味のある方は,どうぞ読んでみてください。
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◆エッセイ「ぼくがうつ病になった理由」  `03.1.8(1.12,3.14加筆)

 ぼくは,大学生になって東京へ行き,約3カ月で,“うつ病”というものになりました。
そして大学を休学し,(おおげさな誇張ではなく)命辛々,名古屋に逃げ帰りました。

 ちゃんと薬を飲み始めて治癒が始まってから,約5ヶ月が経過して,
随分(というか“完璧に”と言ってもたぶんいいと思います。)元気を取り戻ました。
 気持ちの方もだいぶ整理されてきたので,詳しい経緯を書いてみようと思い立ちました。
よろしければ,どうぞ御一読ください。

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うつ病になったのには,おおまかに言って,3つの理由があったと考える。


──────(1)東大への失望 ──────

●大学を目指した動機と嫌いだった受験勉強

 ぼくは生物系の基礎科学者になりたいと思っていた(し,今も思っている)。
そのために大学を目指した。

 しかし,ぼくは受験勉強が,嫌いだった。
「“ぬ”は完了」とか,どうでもいい知識を詰め込んで,限られた時間の中で吐き出す,単一の評価基準を押し付けられる,
くだらない点数レース(1)が,大嫌いだった。
 しかしそれを「大学に入れば自分の好きなことを学べる」という希望でなんとか我慢して,乗り切った。

注1.例えば,数学のテストで,「1時間で3問解ける」〈要領いい〉タイプの人と,
「1時間では1問しか解けないけど,1年あればどんな問題でも必ず全問解ける」〈じっくりいい仕事〉タイプの人がいたとする。
どっちもすばらしい(とぼくは思う)んだけど,受験では,前者しか評価されない。
〈とにかく速く,なるたけ要領よく,点数を稼いだ者〉の勝ち,なのである。
〈モノサシがひとつしかない〉のである。哀しいことである。



●ツマラヌの先の超ツマラン

 ところがどうだ。期待していた授業は(ほとんど)カスばっか。
ぼくはそれまで,いくらつまらん授業でも“聞いて全く理解不能”ということは(幸か不幸か),なかったが,
大学に入ってはじめて,“ヒャクパーちんぷんかんぷんイミフメイ”という講義に出会い,初めての“完全馬鹿状態”(2)を味わった。

 それだけならまだ講義をサボればいい(3)。
しかし,講義がつまらんくだらん上に,そらにその上に,
「進振り」(「シンフリ」。「進学振り分け」の略。1・2年の成績で専門への進学先が制限される制度)とか言って,
大嫌いな点数レースが,まだ続くではないか!

ぼくが行きたいと思っていた〈理学部生物学科〉は進学に必要な点数がかなり高いらしかったので,
とても焦ったし,授業もさぼることができなかった(4)。
(まぁ,進振りについては,承知で入ったんだからぼくも悪いが。)


注2.板倉聖宣著『教育が生まれ変わるために』(仮説社,1999 )所収「馬鹿についての覚え書き」より。
初出は『たのしい授業』No.202(1998年10月号)。

注3.実際,多くの大学の学生はこの時点で講義をさぼるようになる。
東大は進降りの存在のせいでやや特殊な環境であると言えるだろう。
(極端なハナシ,受験が大学内にまで持ち込まれている,と考えればよい。)
大学生が講義に出ないのは,「大学生自身に学ぶ意欲がない」という側面も確かにあるが,
「受ける価値のある講義が行われていないから」という理由も大きいのではないか,というのが,
実際に大学生になってみての実感である。

注4.そもそも,必修科目は,重要だからこそ,“必修”に設定されているはずである。
〈非必修科目は自由に教官を選べるのに,必修科目はクラス単位の講義で行われるため教官は選べない〉というのは,
どういうことだ。納得いかない。
ダメ教官に当たることほど不幸なことは無い。
その教科の学問自体まで,嫌いになってしまうのだから。



──────(2)東大生への失望 ──────

 ぼくは,哲学的な事なんかを考えたり議論したりするのが好きだ。
しかし,ぼくの通っていた高校には,そういうことを語り合える友人は,あまりいなかった。
東大に行けば,すこしはモノを考えている,,話のわかる奴に出会えるだろうと,思っていた。

 ところが,この予想も,ハズれた。

●“点才”な人々。

 所詮(ほとんどの)東大生は“天才”ではなく,“点才”(テストの点を取る能力(のみ)に異常に長けた人)ばっかであった。
 はっきり言って,つまらん奴が多かった。
期待していた〈脳みそが喜ぶような出会い〉は,なかった…。

●ツマラン文化のはびこりし地。

〈シケタイ・シケプリ〉制度も気に入らなかった。

「シケタイ」とは〈試験対策委員〉の略,
「シケプリ」とは〈試験用プリント〉の略である。

東大ではクラスごとに自主的にシケタイという役職が選出され,
そいつがクラスの各人の得意科目などから,それぞれの講義の担当を決定する。

担当になった者はその授業は必ず出てノートを取り,試験前にそのノートを印刷して,クラスの全員に配布する(これをシケプリと呼ぶ)。
またレポートが出題された際にも,みんなに知らせる任務を負う。

進振りがあるからしょうがないのかもしれないが,
組織的にそういうことを行うのがなんとなく“官僚的”な感じ・匂いがして,ぼくは「非常に嫌な文化だ。」と思った。
(無論,今でもそう思う。虫酸が,走る。)

●シラけた人々。

 またぼくは,東海高校ではよく授業でいろんな先生に文句行ったり,先生をおちょくったりして喜んでいて,
まわりもわりとそれをおもしろがってくれていた(と思う(^^;))のだが,東大でそれをやったところ,
みんな「何こいつ(-_-)?」というかんじで,〈白い目〉で,見られた(ようにぼくは感じた。
今思えば少し自意識過剰だったかもしれないけれど)。

 あれも,よりいっそう,孤独感を強めた(5)。


注5.これは,6年間も〈中高一貫〉の〈男子校〉という“2重にねじれた”環境にどっぷりつかって,世間を知らな過ぎた(^^;)。



────(3)一人暮らしへの見込み違い ────


実家を離れて一人暮らしをする事にも,甘い夢を抱いていた。
親元を離れて暮らしてみたかったのだ。
しかし…。
現実は,き,厳しかった(^^;)。

●次々と崩れてゆく,甘い夢たち…

疲れて帰っても部屋は暗い。無論,温かいご飯など,あるはずもない。
洗濯も掃除も風呂も全部,自分でやるしかない。
夜,ひとりでめしを食っていると,とてつもなく寂しさが募った(6) 。


注6.「テレビのない生活を体験してみよう。」などとアホな事を考えて,テレビを買わなかったのも良くなかった。
何の物音もしない密閉された部屋に長時間ひとりでこもっていると,普通の人間ならば,気が狂いそうになるものだ。
というか,なった(^^;)。


●思い知った家族のありがたさ

今まで如何に家族に守られていたかが身にしみた。
毎日家に帰ってきて家族と何気ない会話を交わすだけのことでも,実は,随分救われていたのだ。
失って,初めて,そのことがわかった。

そう,〈失くして初めてわかることがある〉!


●ボッタクリ。

最初に連れて行かれたクラスのオリエンテーション合宿というのが自分にはとてもつまらなかった。
(だって富士山の河口湖のしょぼい遊覧船に乗せられたり,遊園地で放し飼いにされたり,
んで,あとは毎馬?澆燭い房魄?爐世韻如げ燭?擇靴?
そんなもんに3万円もとられにゃならんのじゃアホンダラ。ケッ。)
そのせいで,その後の種々のコンパも敬遠しているうちに,クラスやサークルでほとんど友達を作り損ねたのも,
かなり,まずかった。

まさに,〈キッカケ〉をつかみそこねてしまったのである。
〈出会い〉だけあっても,それではダメなのである(7)。

注7,実は〈キッカケ〉を産み出す装置が,種々の新歓コンパ・歓迎会・フェスティバル,などである。
…ということは,後で気付いた(^^;)。無論,「時,既に遅し!」であった(^^;)。



●孤独…。

ついには,酷いときは一週間に5日間,誰とも口をきかない日が続いたりした。
おかしくなるのも無理はない(^^;)。

●人ゴミの街Tokyo

東京というところも人が多くて,非常にストレスフルだった。
“人混み”どころではなく,正に,「人」が,「ゴミ」のように,うじゃらうじゃらいた(^^;)。
名古屋では,中心部周辺をちょっと外れれば,わりとすぐに郊外である。
しかし,東京だと,まるで,「どこまで行っても中心部が続く」ような気がした(^^;)。
そして,新宿や東京駅は,またワンランク上,という感じである。

                                          
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以上3点により,うつ病となったと考える。

いちばんひどい時(昨年8月頃)には,かなり強い自殺念慮もあった。

 しかし,「今は死ななくてよかったぁ」とほんとに心から,思う(8)。
自殺は後に残された人々に深い傷を残すらしいから。


注8.よく「うつ病は心の風邪」という。
確かに,誰でもなり得る,という点では“風邪”だが,症状としては,「風邪」よりは,「肺炎」である。
放置しておくと,かなりの確率で死に至る。
しかしたいていは,適切な治療と十分な休養で治癒する。
思考が否定的になるのは脳みその故障という“症状”なので,決して早まらないでほしい。



まあこの1年は,決して無駄ではなかったと思う。
挫折を味わうことで,すこしは精神的にたくましくなった(…はず。……(^^;))。

 まさに,〈どっちに転んでもシメタ(9) 〉なんだと,最近,ようやく考えられるようになった。


注9.板倉聖宣著『発想法かるた』(仮説社,1992)より



自分の制御の仕方がちょっとは分かるようになったと言うのかな。
例えば,よく「8割主義」「腹八分」などというが,ぼくにはどうも完璧主義者的な所があり(10),
常に120%の力を出そうとするので,「6割主義」(11) くらいを心掛けるくらいがちょうどいいようである。


注10.その証拠に,
・小学校の頃,家に帰ってきても,必ず先に宿題を片づけないと遊ぶ気にならなかった,
・中学高校の6年間,一度も平均点が80点を切らなかった。また点数にほんとに全く波がなかった,
などがある。
まことにオカシな人間である(^^;)。

注11.この「6割主義」という概念は,
泉基樹著『精神科医がうつ病になった』(廣済堂出版,2002)という本に書いてあって,なるほどなーと思った。
泉さんのホームページはこちら→http://www.ne.jp/asahi/izumi/forget-me-not/



 4月からはたぶん東大に復学する。
 しかしこれからは,自分のしたいことを自力で追求し,もう大学には頼らない,寄りかからない所存である。

 万が一,億が一,おもろい講義があったらモウケモン,くらいに思っておくことにする。


 また住むところも,学生街で安い定食屋がたくさんある高田馬場か,
本郷の近くにある,愛知学生会館という半分寮のようなところのどっちかに変えて,
気楽に,手抜きをしながら生活しようと思う。


そして将来,
〈創造的な研究者 ∩ 学生を失望させない講義をする教官〉 (図1)に,なるのだぁ!!
未来自画像







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いかがだったでしょうか?
この後結局ぼくは「6割主義」を守れず,半年後にうつ病を再発することになります。
その再発を経て,現在は,東大や東大生に対するわだかまりなどは,だいぶ薄れてきています。
それだけ,大人になってきているということでしょうか。

つづきは,また明日。

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ひょんなことからこの記事を見つけたのがきっかけです。 私とおんなじ東大生で、おんなじくらいの年で、おんなじような理由で、おんなじ病気で悩んでいる人がいることにびっくりしました。 それで、ブログをつけてみようと思ったわけです。 この記事を読んだとき、涙が出.
ブログとの出会い【PHU☆POO】at 2004年08月23日 17:00
この記事をひょんなことから見つけて、ブログ開設に至りました。 私もうつ病とたたかう東大生です☆
ブログとの出会い【PHU☆POO】at 2004年08月23日 17:09
この記事をひょんなことから見つけて、ブログ開設に至りました。 私もうつ病とたたかう東大生です☆
ブログとの出会い【PHU☆POO】at 2004年08月26日 20:00
この記事へのコメント
はじめまして。読ませてもらいました。僕も東大生です。2002年入学だから同期なのかな?いろいろ理由が述べられてますが、同感です。僕も大学に入って失望しました。友達もあんまりいないし、特に学問的な話をするような空気ではなくがっかりしました。特に講義をなんか同じクラスで馴れ合い受講するみたいな感じじゃないですか。これじゃだめですよね。だから、ゼミっていいですよね。僕は今月から本郷で学んでるんですが(文学部)、少人数授業でいいのです。ラウンジみたいなとこがあって、学問的な話で延々話し込めるんですよ。僕はゼミ形式の授業はひよっちゃうところもあるんだけど、得るところも多そうだしできるだけ参加しようと考えています。ガンジーさんもゼミ楽しくなるといいですね。ではでは。
Posted by みやけさん。 at 2004年04月14日 18:55
>みやけさん。さん
はじめまして。コメントありがとうございます。
大学に対する失望は,おそらく誰でもある程度は感じることなんでしょうね。
ただぼくのように切り替えができなくて病気にまでなってしまうケースは稀なんでしょうが(^^;)。
今ではさすがにぼくも切り替えが済みました。割り切ってやってます。
お互い,少しでも多く楽しい知に出会えるといいですね。
それでは。
Posted by ガンジー at 2004年04月14日 22:46
今年、大学生になってひとり暮らしをはじめた息子をもつ母親です。毎日、息子の姿と重ね合わせて、ハラハラしながら読んでいます。東大にはいるという難しい目標が達成できたのだから、君はかなり偉いね。でも、所詮、人生なんて偶然の積み重ね、求めれば出会いのチャンスは確かにふえるけど、
その出会いでまどわされることだってあるんだよ。たとえばTシャツを買いにいったとしよう、売り場を歩いているだけで、向こうから呼んでるくる商品がたいていあるもんだよ。なければ、またにすればいいのだし。
友達の選択も、人生の選択も、この齢になって振り返ると、よかったことはすべて向こうから自然にやってきたようにおもいます。好きか嫌いか、その程度の自己主張をしながら、勝手なことを書きつづけてくださいね。
Posted by mama at 2004年05月16日 00:07
mamaさん,コメントありがとうございます。

>ハラハラしながら読んでいます。

ハラハラですか(^^;)。自分ではハラハラさせるような生活を送っている自覚はないのですが…(^^;)。

>好きか嫌いか、その程度の自己主張をしながら、勝手なことを書きつづけてくださいね。

どうもありがとうございます。自分のペースで,ボチボチやっていきたいと思います。
これからもガンジーblogを,どうぞよろしくお願いします。
Posted by ガンジー at 2004年05月16日 16:05
書き込みありがとうございます。これでうまくトラックバックできたでしょうか?
上の2つ(失敗しているやつ)は削除しておいてくださいm(__)m
うつの状態、どうでしょうか??
実家で休養できましたか?
Posted by phupoo at 2004年08月26日 20:04
初めてこのブログを読ませていただきました。僕も
東大生です。(1年です)。なんか私自身もガンジーさんの気持ちが分かるような気がしました。僕の場合「大学の授業なんて所詮つまらないだろう」と入学前から考えていたので、そんなにひどく悩みませんでしたがやっぱり周りの風潮になじめないところはあります。僕はサークルを早い段階で辞めてしまったのでクラスの友達しかいません。(すごくいい友達だし、ロシア語クラスなのでアットホームで楽しいのが救い。)でもやっぱり一人で行動することが多いから、同じサークルでかたまってる人々とか見るとなんか辛いんですよね・・・。
でも、今夏「GEIL2004」という政策立案コンテストに参加して、他大の人とかとも交流できて、今新たな方向に進めそうです。

これから(ガンジーさんの)ブログ参考にさせていただきます。
Posted by まっきー at 2004年10月16日 02:24
まっきーさん,はじめまして。コメントありがとうございます。
こんな古い記事まで読んでいただいて,うれしいです(^^)。

>これから(ガンジーさんの)ブログ参考にさせていただきます。

こんなブログが参考になるか全く自信はありませんが…(^^;)。
ともあれ,お互いたのしくて有意義な大学生活が送れるといいですね!

それでは,またー。
Posted by ガンジー at 2004年10月16日 21:00