【翌朝の追記】
いや〜,やってしまいました。
こういう,甘えと,気を引くための騒ぎ立てだけの記事は,絶対に書かないようにしよう,
と決めていたのですが,
昨夜は急に耐えられなくなって,思わずケイタイから投稿してしまいました。
まぁでも,こんなのもたまにはいいか,とも思ったり。
(猫さん,あたたかいコメントありがとうございました。)
でもやっぱり嫌なので,もうしません。
ふと,とてつもないさびしさに襲われる夜,というのが時々あります(誰でもそうかな)。
それはぼくの場合,ある程度,条件が決まっていて,
・なにか気の重くなるような案件があって,強いストレス下に置かれている
・連休で,2日間以上誰とも会話していない日が続いた
・参加しているメーリングリストもたまたま静まり返っている
だいだいこの3つがそろうと,疲労感と孤独感に襲われるようです。
まぁ,脳みそが勝手にアラームを発するんですね。
それはたぶん,誤作動なんですけど。
昨夜よりは落ち着いたけど,今日もあまり調子がよくなさそうです。
まぁしょうがないので,受け入れて,じっと耐える。
無理に気分転換しようとしても無理なのは,今までの経験からハッキリしています。
【夕方の追記】
山田ズーニーさんの「大人の小論文教室」を読んでいたら,
こんな記述を見つけました。
こうこうと 1000ワットの光に毎日照らされているなかで、
いったいどうして、 光に対する自分のセンサーを磨けるというのだろうか?
逆に、真っ暗であれば、どんな、細く、弱い光にも反応し、
その光に、まっすぐ、歩いていけるだろう。
(中略)
孤独は、「人」に向かい、
暗さは、「光」へのセンサーを磨き、
私たちが、「哀しみ」を抱いて生まれてくるのは、
まっすぐ歓びをめざせ!
というメッセージなのだ。
(「197 人はなぜ哀しみを抱いて生まれてくるのか?」より)
孤独は,遠ざけるべきものにあらず,かな。
甘えたい時は,甘えればいいですね。
それも「人と関わる」ことの1つの形だよな〜,と。
さみしい時は,このブログなり,メールなり,電話なりで,
遠慮なく甘えることにします。
まぁ,迷惑にならない程度に。
少し,自分にやさしくなれた今日の夕方。